この庭園は、江戸初期に造られた池泉廻遊式の庭園で、岡山藩主池田忠雄の下屋敷です。池田忠雄は、姫路の池田輝政と徳川家康の二女富子姫の間に生まれ、講談や歌舞伎で有名な荒木又右衛門と渡辺数馬の伊賀超大仇討事件当時の岡山藩主です。その後池田光政の岡山移封後この屋敷は重臣の丹羽家の下屋敷となりました。 広い池の中心にして、廻遊による観賞と舟遊びもできる舟遊式を兼ねた造園様式は、京都の桂離宮に似ています。作者は小堀遠州と伝えられ、周囲の高層建築によって東山の借景は望めなくなったものの、遺構そのものは造園当時のそのままの姿のものが多く、当時の庭を知る上からも、現存する本地方最古の庭園の一つとして貴重な存在です。 本園の所有は、幾多の変遷を経て、現在松山家の所有ですが、戦後文化財のうとんじられた時代都市計画で縮小されるなど紆余曲折がある中で、重要な遺構を破壊することなく今日まで保持されている。 |
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左:得月台 下:茶室二帖台目 |
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二帖台目茶室内部 三帖の空間で、向板を入れその前が壁床になっている。池より「舟繋石」に舟をつけ釣舟石を渡ってこの茶室に入ることもできる。躙口は小さめ。南は一間の三枚障子、池に開放されている。 東に貴人口、二枚障子。茶道口は二枚の太鼓襖。 天井、客畳部竿縁平天井。亭主部、蒲の落ち天井。 |
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